2016
07.01

つながる支援パックの行方(8)

事業:つながる支援パック

~追いかけたからこそわかった!課題と意義~

“つながる支援パック”を追っかけて熊本へやってきました。
嘉島町が近づくに従い、点々と屋根を覆っている青いビニールシートが目につきます。被災の現実味が一機に飛び込んできた感じがします。

今回の拠点となった嘉島町ボランティアセンターには、つながる支援パックの輸送ボランティアに一役かっていただいた渡辺さんが笑顔で到着を待っていてくれました。すでに前日から熊本に入って活動されていたようです。

周囲への挨拶も早々に、早速、始動開始です。ボランティアセンターの横には社会福祉協議会があり、建物の中には、つながる支援パックの入った箱が一部残っていました。渡辺さんの説明によると、子育て支援の拠点となる子育て支援センターあいあいに引き渡してくださったつながる支援パックですが、子育て支援センターに置くスペースが無かったため、町の救援物資として保管されました。その後、希望に応じて配布されたのだそうですが、多くの救援物資が届いている中で、行政が把握しきれなくなったため残ってしまっていたようなのです。

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そのため、残りを配布することに決め、まずは向かいにある子育て支援センターあいあいを訪ねました。最初にここで配っていただいたので、また必要数をお渡ししたのですが、ちょうど近くの保健センターで午前、午後と健診が行われることを耳にし、保健師さんを訪ねました。そこの保健師さんによれば、嘉島町は人口9,000人くらいですから、子どもの数は多くもなく隣接した益城町に運んだほうがいいのではないかと助言をもらいました。益城町は人口も多いし、この度の地震では被害も大きかった地域でしたから。そこで、健診に来られる子どもたちの必要数を置いて、今度は益城町まで走りました。

益城町保健福祉センターに着くと、建物の外には自衛隊の車がずらりと並び、横にはテント村が続いていました。嘉島町に比べてさすがに人口が多いことがわかります。先程まで車で走ってきた道路の横では多くの崩壊した家をいくつも見かけました。

センターは、入口を入るやいなや、人、人、人です。支援に入っている人々も多く、その中から地元の保健師さんをやっと見つけました。事情を話し、実際に見てもらい、ぜひ、いくつか被災者親子に渡して欲しいとお願いすると快く引き受けてくださるとの返事。つながる支援パックとともに箱詰めのミルクもお願いしました。

その後、残り2つのつながる支援パックを持って菊陽町も訪ねてみました。どんな状態なのか知りたかったこともありますが、こちらは見た感じひどく被災した様子は見受けられないほど。ここで残りをお願いして配布は完了しました。

結局、つながる支援パックの実物を見てもらえれば、どの町も引き受けてくれました。箱詰めでは、外側にものの名前が記載されてはいるものの何なのかわからず、理解されていなかった。これでは即、困った親子に使えるものだとはわからなかったため、放置された原因にもなったのかもしれません。複雑な思いを持った帰り道でした。

こんな経緯でつながる支援パックはすべて熊本で被災された親子のもとに渡ったものと考えられます。

直接、「親子」に渡したかったのですが、支援活動や遠く離れた宿舎に泊まるため、私たちが活動できるのは昼間だけでした。多くの人は日々の生活のため、昼間は仕事や壊れた家の片づけに行かれておりお会いすることができなかったのです。そのため、今回は保健師さんにお願いをしたのでした。

浜松に帰ってから、嘉島町でその後も活動されていた支援者の方に避難所でつながる支援パックのバッグを使ってくれていた人を見かけ、声をかけてくれた後日談が入ってきました。中身は使ってしまったけれど、支援物資をもらうために利用していると答えてくださったそうです。まさに私たちが望んでいる使い方でした!

多くの方々の善意の気持ちとそれを無駄にしないようにとたくさんの方々が、つながる支援パックを熊本に送るのに手伝ってくださいました。ほんとうにこの名のごとく、たくさんの人々がつながった活動でした。私たちの呼び掛けに応じていただき、ありがとうございました!

なお、次回は、会計報告を掲載する予定です。ほんとうに、ありがとうございました!

(hiro)
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熊本地震「つながる支援パックの行方」シリーズ
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