11.13
『日本乳幼児精神保健研修研究会 第10回全国大会in浜松』
11月4日(土)・5日(日)取材レポート
なんだかとても難しそうな会議・・・、と思ったのですが、今回のテーマが
「育ちの中の“あまえ”」
ということで、
「それなら私も甘えたぁい!!」
と、何を勘違いしたのか、行ってみました。(「誰が?」「誰に?」「いや、何に?」という突っ込みが聞こえてきそうですが、まぁ、お待ちください)
2日間、かなりの過密スケジュールで講演が組まれていました。まずは、
●フィンランドタンペレ大学のトゥーラ・タミネン教授による「21世紀の乳幼児精神保健:少子化対策先輩国フィンランドからの提案」
●前ユニセフ駐日事務所広報官の澤良世氏による「世界の子ども達」
●慶應義塾大学医学部の渡辺久子小児科学講師による「FOUR WINDS 10年のあゆみ:日本の乳幼児精神保健」
●ジャーナリスト草薙厚子氏による「子どもが壊れる家」
●浜松氏保健福祉施設世知準備室副参事の白川美也子氏による「乳幼児期のトラウマによる精神症状とその回復~実際の臨床場面から~」
●トゥーラ・タミネン教授による「ヨーロッパの早期促進計画:プライマリケアでなされる乳幼児精神保健の予防介入」
●浜松市助役であり絵本作家である那須田稔氏による「幼児の心を育む絵本の世界」
●「育ちの中の“あまえ”」のテーマでラウンドテーブル
●自由討論
と、ありました。
「甘え」とは、いったい何でしょうか?「甘えてはいけません」なんて言われ続けているとがんばりすぎて心が折れてしまいそうになります。慶應義塾大学の渡辺久子教授は、
「大人も子どもも甘えが健やかであることが、情緒的に健やかなときである」
と言っています。安心して、理屈抜きの甘え合う関係(絆)が築けることが、とても大切とのこと。だから、大人だって甘えたい時にそれを無条件に受け止めてもらえれば安心するし、ほっとする。子どもだって同じですね。
「羊水のように、あたたかく感性豊かに裏切ることなく」
と、渡辺教授は表現しておられましたが、羊水の中の記憶は忘れていますが、多分そういう感じだと思います。
ジャーナリストで『少年A矯正2500日全記録』の作者、草薙厚子氏による最近の少年事件の背景、分析などは興味深かったです。
少年Aというのは、神戸小学生連続殺傷事件の少年のことです。彼は待望の子どもとして生まれましたが、彼が1歳4か月の時に次男が誕生し、3歳2か月の時に三男が誕生しました。そして、「長男だから、我慢が大切」と、言うことを聞かないとお尻を叩かれ、少年Aは母親を恐ろしく感じながら育ったそうです。また、小学生の頃には、親の過干渉による軽いノイローゼで通院し、両親は医師から「しつけが厳しすぎる」と指摘されることもあったようです。
最近の少年犯罪では、「いきなり型非行」と「幻想型非行」があり、凶悪・特異犯罪が多発し、人間関係が希薄であるということが浮き彫りになっています。「昨日までは普通の子だったのに。」「まさかあの子が」ということが実際に起こっています。
近年では、佐世保小6女児同級生殺害事件がありました。これらの犯罪を犯してしまった子どもたちの背景を調査すると共通している要素のひとつに、加害者が「広汎性発達障害」であることです。この「広汎性発達障害」というのは、他者の心情を感じることが苦手なことが多く、医学的には海馬と感情を司る扁桃体が発達していない上に、前頭前野の血流が悪いので犯罪をやめようという意識が働かないそうです。ただし、決して全ての「広汎性発達障害」の人が、このような犯罪者となるということはないそうです。
他に共通している要素のひとつに、保護者の教育力の低下(過干渉、子どもの言いなり、放任、夫婦の子育ての方針が一致していないなど)があるそうです。少年Aの母も、佐世保の少女の父も、子どもに対して普通より過干渉だったと草薙氏は報告していました。
つまり、保護者が子どもたちとどのような関わりを持ち、何をはぐくみ、何を育てるかがとても重要だということです。ある時には厳しさも必要ですが、「甘え」させてあげることも必要ということですね。
神戸の少年Aは、関東医療少年院で「擬似家族」を作り、赤ちゃんの時に戻り育て直しをすることにより、現在母親との関係は改善されていないものの、「仕事をして償いのお金を遺族に支払いたい」と考え、毎月4万円ほど遺族に送っているそうです。佐世保の少女も、現在集団生活をする中で、集団生活をする力(愛着、努力、多忙、規範意識)を人との絆作りから育てているそうです。
少年Aはすでに社会で普通に生活していますし、佐世保の少女もゆるい監視のもとで集団生活を送っているようです。
今回の研究会の大きなテーマの「育ちの中の“あまえ”」は、人が人として心のバランス感覚を保つ上でとても重要なものだと感じました。これは、「あまえる側にとってのあまえ」だけでなく、「それを充分に受け止める側があってのあまえ」であることが大切なんですね。ひとりで甘えているのは、ある意味「わがまま」なのでしょうか?でも、あまえを受け止めてもらえるからこそ、あまえている側の心に、何かが起こった時の余裕という蓄積ができるのかもしれません。それがたくさん蓄積できると、それは「強さ」になるのかもしれません。
2日目のトゥーラ・タミネン教授の良好な親子関係を築くためのヨーロッパでの早期促進プロジェクトの発表は、日本でも保健師、保育士、看護師をはじめ乳幼児とその親と関わる人たちみんなに聴いて欲しい講演でした。
2日間、かなりハードな講演でしたが、医学や研究の面から、あるいは乳幼児のいる生活をバックアップしている現場から犯罪と関わる(関わってしまった)子どもたちのいる現場から、角度を変えて講演がされました。ふと、自分の生活に当てはめて考えてみても、何か「この時間を共有できてよかった」と感じました。それは、「あまえってだいじなんだよ。誰にでも必要なんだよ」というたくさんの講師の方たちの声となって自分の耳元で聞こえてくるような、もしかしたら、自分に都合のよい勘違いかもしれませんがそれすら肯定したくなるような講演だったからかもしれません。
(わかば)