09.14
がんを乗り越えて働くー急性骨髄性白血病ママの闘病と復職(3)
葛藤を超えて、念願の職場復帰!
がんを乗り越えて働くー急性骨髄性白血病ママの闘病と復職(2)からつづく
約半年の入院生活を経て、2017年2月下旬に退院しました。お陰さまで、桜の咲くころよりも少し早く退院でき、息子の卒業式にも無事参列することができました。
とは言っても、すぐに元の生活に戻れるわけではありません。感染症予防は必須で、体力もかなり落ちています。(体重も10キロ以上落ちました。)しかし、家に帰ると元気になりますね。自分に与えられた役目があるというのは、人を元気にします。洗濯も掃除も料理も、以前は面倒だったことも、楽しくてたまりません。こうして、生活も体力も徐々に元に戻っていきました。
職場の理解もあり、その後も傷病休暇を使って自宅療養をしました。通院も続き、感染は禁物という状況でしたので、大変ありがたかったです。
しかし、社会復帰するには、このままではいけない!病院と自宅にいるだけの生活は、社会から隔離されている感覚になります。いくら新聞を読んでも、ネットニュースを見ても、ほぼ家族としか会話をしていない生活が続くと、社会からおいてけぼりを食ったような感じがしました。
そこで、社会復帰に向けて、できることから少しずつ活動を始めました。検定を受けてみたり、歌を習ってみたり。また、頭と体を仕事モードにするために、講習会に参加してみたり。
自宅にいる時はラジオをつけていることが多かったのですが、リスナーさんの投稿やパーソナリティの考えに耳を傾けることは社会に目を向けるきっかけにもなりました。
どれも病気をしたことで見つけた世界。新鮮で刺激的でした。自分が意識すれば見えてくる世界があるということに気付きました。
いざ、仕事復帰!
2018年3月、職場復帰。
最初は数時間の勤務からスタート。体力は十分回復していたので、逆に申し訳ない気持ちにもなりましたが、「無理せず、ゆっくりと」と皆さんが言ってくださったので、お言葉に甘えて、徐々に仕事・職場に慣れていきました。そして、現在に至ります。
順調のように見えますが、実は職場復帰するまでに、自分の気持ちの中はとても揺れ動きました。
…あと何年生きられるかわからない。就いてみたいと思っていた仕事に挑戦してみるのもいいのでは?
…私は本当に職場復帰したいのか?家族との時間を優先する生き方もあるのではないか。
…引き継ぎもなく、突然、入院してしまった自分を受け入れてもらえるのか。
長いこと自宅で過ごしていたので、社会に出ることに怖じ気付いていた面もあったと思います。
不安を解消するために、病院のがん相談支援センターで開催されている就労支援相談会やハローワークへ相談に行きました。どちらでも言われたことは「仕事を辞めるな」ということでした。がん罹患者が一旦仕事を辞めると、次に仕事に就くことがまだまだ難しい時代のようです。がん罹患者であることはマイナス要因。もし、健康な人と私が同じ能力であったら、会社は健康な人を採用するでしょう。プロの意見を聞くことは大切ですね。冷静になり、もやもやした気持ちは収まりました。
次に悩んだのは「家族との時間を優先する生き方(=仕事に復帰しない)」。息子も数年したら、恐らく家を出ていきます。それなら、半年間できなかった家のこと、家族との時間を思い切り楽しむのも一つの生き方ではないかという考えにも至りました。しかし、あれこれ考えているうちに、これから社会に出ていく息子に対して「『仕事って簡単に辞められるんだ』と思われたくない!」「病気を克服して、以前のように元気に働いているお母さんの姿を見せたい!」という思いが強くなってきました。この気持ちがぐっと私の背中を押してくれました。
そして何よりも、仕事を辞めさせられたり、辞めざるを得ない状況に追い込まれたりしなかっことは本当にありがたかったです。職場の皆さんが病気のことを理解してくださったこと、復帰した際も受け入れてくださったことに感謝しています。
このように迷うこともありましたが、今、職場に戻り、仕事をしていると「戻ってこられて良かった!」とつくづく思います。病気になる前と担当の仕事は変わりましたが、逆にこれは複数の仕事をこなせるポリバレントになれるチャンス!前向きに仕事に取り組んでいこうと思います。
病気になったこと、突然仕事を休んだこと、息子にお弁当を作ってあげられなかったこと…病気がわかった当初は、後ろめたいことばかりで、申し訳ない気持ちが先立ち、とても後ろ向きでした。
こんなに元気になったのだから、これから挽回していけばいいじゃないか!
今できることを一生懸命やろう!
そういう気持ちで今日も家で、職場で、過ごしています。