2018
08.31

がんを乗り越えて働くー急性骨髄性白血病ママの闘病と復職(1)

スタッフ

私が白血病? 突然の“がん”診断に、家族は、職場は?

初めに、まず私自身のことを紹介します。NPO法人に勤務。40代。既婚。子ども1人(当時、中学3年生)。犬1匹。バリバリの体育会系。大病・骨折などもしたことがなく、これまで唯一の入院は出産のみで、病気やケガとは無縁の生活を送ってきました。

ところが、2016年6月下旬から、日に数度、激痛に襲われるようになりました。痛み止めを飲めば、日常生活は送れていましたが、いつ痛みに襲われるかわからない不安と正体不明の痛みに耐えきれず、2016年8月、かかりつけ医に紹介状を書いてもらい、総合病院の総合診療内科を受診しました。

検査の結果、急性骨髄性白血病(※1)と判明しました。

医者からは即座に

「今日から入院してください」

と言われました。

「えっ?そんなの無理!無理!」

誰でもこういう反応になるでしょう。

家のこともありますし、仕事のこともありますし。

その日も午前中に受診して、午後から仕事に行くつもりでした。しかし、検査が一日がかりとなり、結局、仕事は一日お休みさせてもらいました。おまけに翌日から入院となり、職場の皆さんには大変迷惑を掛けました。自分自身に「私がいなくても社会は回る。仕事は進む。」と言い聞かせて、入院生活をスタートさせましたが、職場の皆さんにとって私がやり残していった仕事の対処は大変だったと思います。

入院当日。

まずは職場に行ってデスク周りを片付け、「白血病の疑いがあるので、今から入院してきます。」と宣言して、病院に向かいました。主治医から病気の説明を聞くために、病院には夫に同行してもらいました。主治医からは、急性骨髄性白血病がどういう病気なのか、治療方針、再発率、合併症による命のリスク等の話がありました。

急性骨髄性白血病とわかった時も、主治医の説明を聞いている時も、私は悲しくなることはありませんでした。どこか他人事。まだ、自分のこととして捉えていなかったのでしょう。

ここから約半年にわたる入院生活が始まりました。この時、息子は中学3年生でした。

「お母さんは明日から入院するので、室内履きやパジャマなどを買いに行くのに付き合って」と入院前日(総合診療内科を受診した日)に買い物に付き添ってもらいました。

息子は、家で激痛に襲われている母親の姿を見ていましたので、いつ痛みに襲われるか…一人で出掛けるのが怖かった私の気持ちを察してくれたのでしょう。気持ちよく付き添ってくれたのを覚えています。この時点では、息子には病気の詳細は伝えていませんでした。息子も「数日の入院でお母さんは戻ってくるだろう」と思っていたに違いありません。

入院の日、主治医から聞いた説明を夫が息子に伝えました。もう中学3年生ですし、白血病の知識はなくても、話せばわかる年齢です。冷静に受け止めてくれたのか、ぴんときていなかったのか、「ふーん」という反応だったようです。

私の方は主治医の他に看護師・薬剤師・管理栄養士などバックアップ体制は充実していましたので、入院生活に不安はありませんでした。

問題なのは、夫と息子の「男二人生活」です。

犬を1匹飼っているのですが、男二人では世話が無理そうだったので、実家で預かってもらうことにしました。

入院中、犬だけでなく、男二人生活は実家の助けなくして、成り立ちませんでした。実家は自宅とは車で10分ほどの距離にあります。夕食を週に数回届けてくれ、来たついでに洗濯物を取り込んだり、掃除機をかけてくれたりしました。週に何度か、お見舞いにも来てくれ、実家の両親には感謝してもしきれません。

退院後、夫から聞いた話ですが、「私の入院中、何が大変だった?」と尋ねたら、「朝かな。朝ご飯を準備して、洗濯物を干してから出勤するのが時間との勝負」と。

日ごろから料理をしなれていない夫ですので、無理もありません。朝食は男二人でなんとか用意。息子はお弁当持ちでしたが、夫が毎日お弁当を作ることは不可能でしたので、担任の先生に事情を話し、入院中は学校でお弁当を注文させてもらいました。母親として、約半年間、お弁当を作ってあげられなかったことを大変申し訳なく思いました。

抗がん剤治療の後、1週間程退院できるのですが、その時は少々だるくても、お弁当を作ることを励みに朝は早起きできました。

先に書いたように、私が入院したのは、息子の「中3の夏」でした。この時期になると高校受験に向けてそろそろ本腰が入る頃ですが、幸いにも中高一貫校だったので、高校受験に関して母親が不在で困ることはなく、夫が学校に出向くことも1回程度で済みました。

「突然、母親が入院してしまう」などとは、元気な時には予想もしていません。母親不在になった時、残された家族はどう生活するのか、私自身、考えたことも無かったですし、家族も同様だったと思います。家族構成や子どもの年齢にもよりますが、我が家の場合、子どもが中学生で、自分の生活は一人でなんとかできる年齢でしたので(夫より上手にフライパンが使える。肉を焼いたり、ホットケーキを焼いたり、意外と上手なんですよ^o^)、おまけにあまり親に干渉されたくない年頃でしたし、私はそんなに心配していませんでした。でも、息子の立場に立ったら、どうなのでしょうね…不安だったのかな?この辺りは本人に確認したことがありませんので、折を見て聞いてみたいと思っています。

それよりも、申し訳ないと思ったのは、夫に対してでした。仕事も忙しく、当時は自治会の副会長も引き受けていましたし、家のことをしつつ、病院にも来てくれ、実家との連絡調整(夕飯など)もしてくれ、大変だったと思います。

なので、私も「できるだけ家族に頼らず、自分でできることは自分でする」ことを念頭に入院生活を送っていました。それがかえって精神的にも良かったのかもしれません。

次回、がんを乗り越えて働くー急性骨髄性白血病ママの闘病と復職(2)へつづく

※1 急性骨髄性白血病とは?
血液のがん。10万人に2~3人の割合で発症。遺伝や生活習慣とは無関係と言われている。