2014
11.12

津波防災の日シンポジウム

事業:その他

11月5日は津波防災の日だそうです。「この日は何の日か?」とテレビなどのクイズで出題される中で回答率が悪い、難問になるそうなのです。

この日、仙台市内で開催されたシンポジウムに行ってきました。午後からの講演、パネルディスカッション、ワークショップと18時半まで長い半日でした。スーツ姿の男性が多く見られたのですが、実際は行政関係、建設関連の企業、NPOや県内の町内会会長までと幅広い層の参加でした。

津波防災の日シンポジウム

地元仙台、防災大使のフィギュアスケートの羽生くんのビデオメッセージがありましたが、なんと超短い。気を取り直して、兵庫県立大学防災教育センター長の室崎氏の「津波避難のあり方について」の基調講演は、近年の震災データを基にハード、ソフト、ヒューマンな対策を効果的に組み合わせることが重要であるということでした。やはり守備を堅くしても人がやること。啓発や日頃の訓練、教育がいかに大切であるかということです。パネルディスカッションでも同様なことが多くいわれていました。ハードには限界があり、実際には行政では見せられない防災地図もあるようで、最近では地域住民が自分たちで身を守るために計画を立て考えることが必要だという考え方に変わりつつあるようです。

津波防災の日ワークショップ

最後のワークショップでは、ワールドカフェ形式で4名一組のテーブルにわかれ、(30以上あったかと思いますが)テーマは「津波からみんなが助かりふるさとを継承するために」でした。様々なアイデアが飛び交い、各テーブルで出たものをそれぞれが見て回って良いと思ったものにシールを貼って、一番多く貼られたものを公表するというものでした。啓発あり、ハード対策あり、面白いものもありました。宮城県内からの出席者が多かったせいか、東日本大震災当時の経験を基にしてのアイデアだったので実感がこもっていました。この経験を後世まで語り継ぐということや子どもたちへのさらなる減災への啓発なども出ていましたが、最後に聞いた言葉が印象的でした。

宮城県では震度3くらいの地震にはあまり反応しなくなった。震度5でもあまり動じない。しかし、子どもたちの防災プログラムには起震車を入れなくなったと。もう、あの時の揺れは思い出したくない。辛かったことを思い出すからということで、震災前までは起震車は引く手あまたに呼ばれていたのが、その後はなりを潜めているとのことでした。体験した人でないとわからないことがそこにはあるということです。

<Hiro>