09.07
がんを乗り越えて働くー急性骨髄性白血病ママの闘病と復職(2)
家族や職場の人々に支えられた、長い入院生活
がんを乗り越えて働くー急性骨髄性白血病ママの闘病と復職(1)からつづく
今後、どのような治療を行っていくのかは入院時に説明がありました。年齢や病気のタイプによっても異なりますが、私の場合は、「化学療法(抗がん剤治療を何クールか行い、寛解を目指す)の後、骨髄移植を行う」という内容でした。
2016年8月に入院しましたが、主治医から言われた「桜が咲く頃に退院するのが目標」という言葉に、「えっ、そんなに長く入院するの?」と驚きましたが、中学3年生の息子の卒業式に参列することを励みに入院生活を送ることになりました。
抗がん剤治療は1クール終わると、1週間退院でき、それを何回か繰り返し、がん細胞をやっつけて寛解を目指します。今振り返ってみれば短期間でしたが、最初の抗がん剤治療は本当につらかったです。私の母もぐったりした私の姿を見て「もうだめかも…」と頭をよぎったそうです。でも、「考え方が間違っているな!」と私は気付きました。治療でぐったりしているわけで、病気にやられてぐったりしているわけではないのです。それは、がん細胞をやっつけるわけですから、体力的にも精神的にもダメージは大きいのですが、病気が進行しているのではないので、悲観することはないのです。おまけに2回目以降の抗がん剤治療は比較的ダメージが少なく、思いのほか軽快に入院生活を送ることができました。
入院中、「生活リズムを整えて、楽しく過ごす」ことを目標にしていました。
体調が良い頃は、朝食が終わるとまずは洗濯をしに行きました。回診の時間には病室にいるようにし、その後は病棟を歩いたり、読書をしたりしました。
そのうち、自分なりの時間割を設け、
1時間目 国語=読書
2時間目 算数=数独
3時間目 図工=大人の塗り絵
4時間目 音楽=ラジオや音楽鑑賞
給食の時間=昼食
5時間目 家庭科=クロスステッッチ
6時間目 校外学習=売店でおやつを買う
というように毎日を過ごすようになりました。
もちろん体調が悪い日は無理せず、ベッドでごろごろしていることもありました。
それから、入院中に心掛けていたことは「自ら病人にならない」。病衣を着ると気持ちが病人になってしまいそうで、化学療法の期間は治療に差し支えのない範囲でファストファッションのお店で購入したルームウエアなどを着て過ごしました。
「気持ちは軽く、治療は前向きに!」と入院生活を送っていましたが、抗がん剤治療が始まってから3ヶ月半ほどで、向き合えないに直面しました。
それは、抗がん剤で髪の毛が抜けてしまったこと。
鏡を見る時は必ず帽子をかぶっていました。髪の毛が無くなっていく自分の頭を直視できなかったのです。お見舞いに来てくれた友人はもちろん、主治医・看護師・家族にさえも会う時は帽子をかぶっていました。そんな自分の頭を見ることができたのは、骨髄移植を行う前の前処置という治療に入る直前でした。自分の中で「病気と向き合わなきゃ!」と覚悟を決めた時です。頭を触れば髪の毛が無いことはわかるので、直視したからと言って悲観することはありませんでした。その後も人に会う時は帽子をかぶっていましたが、私の気持ちの中はすっきりしていました。
髪の毛が抜けてきた時、心強かったのが医療用ウィッグのお店でした。
2回目の抗がん剤治療が終わり、1週間退院した時は、いの一番に医療用ウィッグのお店に駆け込みました。まだ少し髪の毛が残っており、ベッドに落ちる髪の毛が鬱陶しかったので、そのお店で短くカットしてもらい(この時も鏡は見られませんでした)、そんな頭に合うウィッグを用意してもらいました。ウィッグがあるのと無いのでは大違い!この退院期間に友人とランチにも行けましたし、息子の体育祭も見に行けました。スーパーにも人目を気にせず行くことができました。ウィッグのお陰で外出することに前向きになれたのです。
こうして化学療法(抗がん剤治療)を終え、造血幹細胞移植(骨髄移植)へと治療は進んでいきます。
幸いにも、ドナー第一候補の姉とHLA型が100%適合し、姉の快諾もあり、姉から骨髄提供を受けることになりました。適合するのは、兄弟姉妹でも4分の1の確立ですので、この結果には主治医も家族もとても喜びました。
しかし、関東に住む姉には、検査や自己血貯血などのために、骨髄移植まで何度か浜松の病院に来てもらわなければなりませんでした。いざ骨髄移植となると3泊4日の入院となりますし、バリバリ仕事をしている姉ですので、姉妹であっても、かなりの負担をかけたのではないかと、とても申し訳なく思いました。
主治医からの説明で覚悟はしていたものの、骨髄移植後は、主治医の言うとおり50日近く食事が摂れず、吐き気が続く日々。自分で決めた時間割をこなす余裕などありませんでした。しかし、体力・筋力は落としてはいけないので、理学療法士のもとリハビリに励みました。トイレに行くのもシャワーを浴びるのも体力・筋力を落とさないために、自分の足でできるだけ行くように言われました。もちろん、体調がすぐれない時は無理をせず、車いすを使うこともありましたし、シャワーに行けない時はお湯を用意してもらい、清拭していました。
骨髄移植後の入院生活は大変でした。基本、一人で過ごすことが平気な私も心が折れそうで、誰かがお見舞いに来てくれるのを心待ちにしていました。
ちょうどクリスマスの頃です。職場の皆さんからカードが届きました。突然いなくなった私なのに励ましのメッセージをくださり、弱気になっていた私を「職場復帰できるように頑張るぞ!」と気持ちにさせてくれました。化学療法中も上司が病室に来てくださり、継続的に接点を持ってくださったことは、「病気を治そう!仕事に復帰したい!」という意欲を後押ししてくれました。
家族や友人だけでなく職場の応援は、治療後の自分の姿(仕事に復帰している私)を思い浮かべるきっかけとなり、心を強く持てました。
今、こうして仕事に復帰しているのも、職場の理解があってのこと。
感謝しています。
次回、がんを乗り越えて働くー急性骨髄性白血病ママの闘病と復職(3)へつづく